2017年7月16日日曜日

西九州の旅2017-7-11/14

msohtmlclipclip_image0012017年7月11日から14日に、鹿児島・熊本・島原・長崎・佐賀を回る旅行をしました。
往きは、JetStarの成田・鹿児島便、帰りは春秋航空の佐賀・成田便を使い、往復で16000円と格安でした。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







 
●1日目:成田・鹿児島・知覧・指宿
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JetStarは老舗の格安航空で、成田空港第三ターミナルの主なので、駐機場も近くを占有しています。エアバス社のA320は、追加料金を払った足元余裕席でもきつく、薄い背もたれシートは後席の子供の蹴りが伝わってきます。出発直前の整備不良発見で、1時間遅れました。
鹿児島空港到着直後、スマホの緊急警報が地震を伝えてきました。鹿児島湾で震度5強、このような大きな地震は50年無かったそうです。空港では感じなかったのですが、嫌な予感が・・



●知覧経由で、指宿温泉へ
熊本駅前でレンタカーを借り、指宿温泉を目指します。予定では、桜島に渡る予定でしたが、レンタカー屋で「指宿方面は、鉄道も止まっていて、がけ崩れで道路も通行止めのところがあるそうだ。」という話で、昼食をとってすぐに指宿に向かうことにしました。
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人気の行列店、「黒かつ亭」で、黒豚ロースかつ定食を食べました。午後2時くらいでしたが、並ばされました。黒豚の香りのあるかつは、ジューシーという感じでしたが、半額の人気限定ランチセットで良かったかなと思いました。
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市内を抜け、鹿児島湾沿いの道を進むと、桜島はどこからも見えます。地震の影響はなさそうなので、途中から山へ入り、知覧に向かいました。殆ど車も通っていない道で、震源にも近い地域なので心配でしたが、快適な道でした。
途中、休憩を兼ねて、知覧武家屋敷に寄りました。屋敷は、現在も住んでいるのでリフォーム済みで、庭だけが当時のものを残しているという「武家屋敷」でした。
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●知覧特攻平和記念館
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途中、殆ど車とも出会わなかったのですが、駐車場には、観光バスや車も多くありました。
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館内は人も多く、「撮影禁止」になっているので、外からガラス越しに撮影しました。沖縄戦に向け、ここから出撃した特攻隊の写真が、第一次から第七次まで並んでいます。沖縄のひめゆり記念館とセットになるものでしょう。個人情報が多いので「撮影禁止」は仕方ないかもしれませんが、やはりカメラに焼き付けておきたいものばかりでした。平和記念というより、戦争で亡くなった若者たちの慰霊館というものです。多くの霊を感じました。
●指宿温泉
ナビの指示通りに、宿へ向かったので、温泉街という雰囲気の感じられない場所の旅館に到着しました。海に近い、川沿いにありました。
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宿の主人の話では、50年住んでいるが初めての揺れだったそうです。桜島で火山性の地震には慣れているそうですが、経験のない揺れに驚いたそうです。宿に源泉かけ流しの湯があるので、砂蒸しは止めて早く寝ることにしました。熊本地震のような、2度目の本震に不安が残ります。
夜は、カエルの鳴き声がうるさく、ビールを飲んでも寝付かれません。首のない人たちが歩きまわる夢を見ました。知覧の霊を引きづってきた?
●2日目 九州新幹線で熊本へ
朝早く出かけ、枕崎・池田湖もあきらめて鹿児島に戻りました。実は、九州豪雨の雨雲が南下してきて、熊本から鹿児島に向かっているといういう予報のためです。新幹線で、雨雲と逆行するため、早く鹿児島に戻ることにしました。レンタカーを返し、熊本駅に歩くところで、雨が降り始めました。予定通り、新幹線移動中に雨が降りましたが、熊本到着時には晴れていました。
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●熊本城
熊本城は、地震の復旧工事中で中には入れません。復旧工事が終わるのは20年先なので、外から回ります。これだけの石垣が、残っていたのが不思議なくらいですが、これを元通りにするのは難しいと感じました。被害の少ない建物も多く、本丸の工事中のクレーンとネットに、違和感がありました。木造ではもう見られないのでしょう。
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●熊本ドライブ
また、レンタカーを借りて阿蘇に向かいました。天気がいいので、車で近くまで行ければと思いましたが、道路が回復しておらず、ナビ通りには進めません。う回路を何度も回りながら進みますが、だんだん渋滞が発生してきます。原因は、う回路に車が集中するのと、晴れてきたため濃霧が発生したことによるものです。ここまで見えれば十分です。峠の途中で、あきらめて市内に戻りました。
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ナビに、水前寺公園をセットしました。
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日本人はあまりいませんが、外国人が多く来ていました。一時無くなった水も戻り、地震の被害は見られません。
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それにしても、熊本市内は車が走りにくい。ナビが指示を終えてから、そこに着くのが大変です。
車で行けるレストランを探しましたが、レンタカーを返して、予約したホテルに歩いて戻りました。
●3日目 島原から長崎に入る
熊本城の近くのホテルから、バスで熊本バスセンターに移動。ここから、熊本港まで移動して、フェリーで島原に入ります。バスセンターは分かり難く、予定のバスも出てしまったのでタクシーで港に行きました。熊本港も、島原に渡るフェリーも、観光イメージの無いものですが、たった700円で島原に行ける実用的なものでした。車移動の人が殆どです。
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島原鉄道で諫早まで行き、そこからJR長崎本線で長崎に移動します。
せっかくなので、島原城を見学。車で来ていれば、雲仙観光もできましたが、今日の最終目的地は、長崎ハウステンボスです。先は長い。
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●島原鉄道・JR九州
島原鉄道は、植木元太郎が将来の国有化を目指して個人で引いた鉄道でしたが、戦争の影響で国有化が行われず、私鉄のまま残りました。車内に、その歴史と植木元太郎の業績を伝える案内が掲げられています。一両編成のワンマンカーですが、何となく暖かい鉄道でした。
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海岸線ぎりぎりを走る、諫早までの乗車は快適でした。
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JR九州も、独特の車両ばかりで、鉄道マニアではなかったのですが、「てっちゃん」の気分になってきました。
●長崎市内
まずは、原爆記念公園に。これも、なかなか広くて分かり難いところにあります。
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爆心地の碑の近くに、被爆当時の地層が展示されていました。茶碗などの生活具が地層になって埋まっています。
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大浦天主堂、グラバー亭、オランダ坂など、すべて山間の斜面で、細い階段を上ったところです。市電ですぐに停留所には行けますが、そこから探すのが大変。暑くて、ペットボトルの水がすぐになくなり、足にまめができました。
ハウステンボスへJR九州・大浦線でいきますが、これまた2両編成のワンマンカーです。
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今日の宿は、ハウステンボス内の城内ホテルです。駅に着いたのは、午後6時過ぎでした。シャトルバスで、ホテルに直行し散策コースでの入場は明日にしました。
●4日目 ハウステンボスから、佐賀吉野ケ里へ
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城内ホテル宿泊者は、30分早く入場(入国?)できるので、8:30から行動開始。歩いて反対側の出口まで行き、荷物を預けて身軽にしましたが、疲労は溜まっています。東京ドーム4個分という広さも、駐車場・ホテル・アトラクションなどの商業施設がほとんどで、散策すべき運河の周りは、さほどでもなかったように思います。昼までに、船で半周し、2往復しました。
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真夏なので、バラ園は調整中で、ユリとヒマワリがテーマでした。水辺のアトラクションが中心で、家族連れはほとんど水着でウォーターパークで楽しんでいました。遊覧ヘリもありましたが、多分数分で終わってしまいます。観覧車で十分でした。
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船やヘリの他、自転車・馬車・ミニタクシー・機関車など、移動ツールはたくさんありますが、気に入ったのは1時間4000円のセグウェイでした。2回目からは、講習料が無くなり1時間2000円になります。自転車は膝に来るので、セグウェイは立って寄りかかっているだけで前進してくれます。今後の老人の移動手段は、これが便利です。自転車や、電動カートよりも置き場所に困らず、軽いです。安倍さんよ、この規制緩和を早めてくださいよ。60歳以上限定にすれば、若者のスケボーより公道でも迷惑がかかりません。スピードも、6Km/hしか出ませんから。
●佐賀・吉野ヶ里公園へ
帰りの飛行機は、佐賀空港19:30の春秋航空の成田便です。午後は、佐賀駅から20分の、吉野ケ里遺跡でも見に行こうと計画しました。佐世保か久留米にも行けましたが、吉野ケ里遺跡を採集にしました。誰かが「佐賀には何もない」などと言っていましたので、ちょっと見るだけのつもりでした。大村線から長崎本線博多行に乗り、各駅でも90分、ゆっくり休みながら列車の旅を楽しみました。
これも、二両編成ワンマンカーでしたが、シートは簡単に向きが変えられる革張りシート、窓は8列繋がったパノラマウインドウで、普通列車とは思えないものでした。線路の敷地は広く、美しい田園と山と川を越えて行く、楽しい列車移動でした。
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吉野ヶ里公園駅を降りて、タクシーを探しましたが、畑の中の駅には自転車しかありません。
看板を見ると、「公園入口まで700m」とあります。10分くらいのはずですが、近くの女子高生に聞くと「うーん、でも入り口から遠いから30分くらいは・・」しかし、車は無いので猛暑の中歩きました。ゲートには着きましたが、その先が広い!途中まで進むとガイドが出てきて説明。歩くと、片道30分・全部回ると1時間以上かかると・・。シャトルバスに乗ると、場外を端まで行くので、やはり1時間以上歩かないといけません。
他の中高年の一行も悲鳴を上げていましたが、誰かの「行けるとこまで取りあえず」の声で、歩き始めました。もし、彼らがいなかったら、ここで引き返したかも・・
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鳥居をくぐって広場を進み、やぐらに上って周りを見てびっくり・・
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やぐらの上には、中高年がぎっしり。これも中高年のボランティアガイドが、熱弁をふるっていました。次々に中高年たちが質問、自称「頑固なガイド」が自説を展開します。確かにこれを見渡せば、ここに縄文時代に邪馬台国が間違いなくあった、という気がしてきます。遠くの北の端には、その御殿が再現途中のシートを被っています。荷物を、駅のロッカーに預けてくれば良かったと思いましたが、荷物が無くてもそこまでは歩けなかったでしょう。確かに、ここには壮大なロマンがありました。吉野ケ里遺跡、甘く見ていました。
●佐賀駅に戻り佐賀空港から成田へ
熱中症寸前の体を引きずり、吉野ヶ里公園駅に戻り、佐賀駅へ。空港バスで、佐賀空港に。空港までは、30Kmくらいの距離なので、リムジンバスは市営の路線バスです。荷物を積む場所はありますが、運転手は手伝いません。一般の客も乗り込み、途中15カ所くらいの停留所に止まります。
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空港は、ゲートが2つで、近い時刻の便があると待合室は座る空席もありません。席を確保したら、荷物を置いてトイレにも行けません。確かに狭い。これで、ソウル・香港への便もある国際空港とは・・。でも、やはり春秋航空は快適でした。機体はボーイングなので、席も広いし、シートも厚い。この日は、3連休を控え、満席でした。